カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の65件の記事

2012年7月 1日 (日)

2012岩手山山開き

7月1日(日) 職場の同僚と岩手山山開きに参加した。昨年は焼走りコースだったが、今年は馬返しコース。
心配された天気もまずまずで、山頂はまだ見えていたが雲の動きが早いので風が強そうだ。
朝6時から馬返し登山口で神事とセレモニーが執り行われたが、村長さんのお話では馬返しから約500人が参加だとか。いやはや凄い大人数だ。

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6時40分頃ゆっくりと登り始める。
途中眺望が開けると、森や牧草地の濃い緑と麦秋の茶色のコントラストが美しい。

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二合目では姫神山や写真には写っていないが遠くに早池峰山も望めた。

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適度な日差しと心地良い風で絶好の登山日和だったが、見上げると頂上付近は雲に隠れてきた。
さらに登ると7合目あたりを境にガスってしまい風も強くなってきた。
10時40分頃八合目避難小屋到着。

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気温はかろうじて2ケタの10℃だったが、体感気温は5℃前後?

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山頂は風速20m程度の強風らしい。
八幡平市の登山隊は途中で折り返した模様で、九合目不動平にて滝沢村と雫石町のピッケル交換、万歳三唱を行い下山となった。

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八合目避難小屋に戻り、昼食休憩を充分とって16時過ぎに無事下山。

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2012年4月 7日 (土)

ツバメ発見

4月5日(木) 仕事で盛岡市内を走っていた時、黒と白のツートンの小さな鳥が視界を横切った。
ちょうど信号待ちだったので、目を凝らすとツバメだった。
4月とは言え、毎日のように突然吹雪いたりしている岩手。
でも確実に春はやってきている。
桜の開花まであと2週間ほどだろう。
楽しみに待ちたい。

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2012年3月31日 (土)

3.11から一年

長期間更新をサボっていました。

  
昨年の東日本大震災からあっという間の一年だった。
この一年間、非常に涙もろくなった。
仕事で沿岸部に行った時はもちろん、ラジオやテレビ、新聞などを見聞きしては泣き、
音楽を聴いては泣き、と自分でもこんなに引きずっていて良いのだろうかと思うことがある。

1月に神戸からのお客さんを沿岸に案内した。
「神戸の時よりも復興のスピードが格段に遅い。」と指摘していた。
地震による崩壊と津波による流失では性格も違う。地形的にも三陸はリアス式海岸で平地が少なく、代替地もままならない。街づくりが定まらないと次に進めない。そのため神戸とは一概に比べることは出来ない。

でも、まだ取り壊しが進んでいなかったり、建物の基礎がそのまま残り更地にすらなっていない場所も多く、沿岸に行く度に心が痛む。

さて、2012年3月11日(日) この日は家族全員で2時46分に黙祷した後に、クルマで出かけた。行き先は宮城県大崎市の「パレットおおさき」だ。
ここで、最近のマイフェバリットである「アクアマリン」という音楽ユニットがプラネタリウムコンサートを開催するというので家族で出かけた。

プラネタリウムでのコンサートなので、途中で当日の星座が投影された。アクアマリンのミマスさんは天文の分野にとても明るい方で、星座を分かりやすく解説してくれて、大変勉強になった。もちろん音楽は、歌詞もメロディーも美しい曲が多く、プラネタリウム投影との相乗効果で感動した。後半では投影係の方がサービスしてくれたのか(?)流れ星が本当にたくさん流れたので、いろいろとお願い事をした。(笑)

アクアマリンの楽曲は「星、宇宙、自然、旅」などをテーマにした独特の世界観で、親も子も一緒に楽しめる音楽じゃないかなと思う。ちなみに代表曲の「COSMOS」、「地球星歌」、「明日の空へ」などは合唱に編曲されて学校で広く歌われている。残念なのはインディーズなのでCDが現在流通していないことだ。通販かコンサート会場での直接販売のみとなっている。

帰り際に私もアルバムを1枚求め、サインを頂いた。

彼らの楽曲は、歌詞に普遍的なメッセージ性もあり、それでいて肩肘張らないでリラックスして聴けるところが気に入っている。草原にゴロンとして星空を眺めながら聴いてみたいと思う。決して流行を追い求めていないが、あの日以来「価値観が変わった」方も多いのではないだろうか。そんな時代に、もう少し注目されてよいユニットだと思う。

「震災ウイーク」で視聴率稼ぎのショッキング映像オンパレードのテレビ番組を家で見るのと比べるまでもなく、出かけて正解。ほんとうに心温まるコンサートだった。
こんな素晴らしい企画をして頂いたパレットおおさきの皆さんに感謝。

 

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2011年7月21日 (木)

大槌川再生プロジェクトに参加

7月10日(日) 鮭のふるさと大槌川再生プロジェクトにボランティア参加してきた。
大槌川といえば、12月に開催されていた「大槌鮭まつり」。数年前に家族で出かけて、長男坊がつかみ取りに挑戦した思い出がある。

さて、朝7時に盛岡市のふれあいランドをバスで出発。当日は36名の参加だった。
9時30分頃大槌到着し、現地で作業の説明を受けている最中に大きな揺れを感じた。
その後津波注意報が発令されて作業中止で避難。
結局午前中の作業は無く、早めの昼食となった。

12時45分から大槌川の河川敷で瓦礫撤去の作業スタート。
当日はとにかく暑かった。風も遠野側の山からの風だったのでフェーン現象か。そのためか悪臭はほとんど感じることはなく作業ができた。
途中班長の指示で休憩を取ったが、それ以外にも自主判断で手を休めスポーツドリンクを飲む。
結局あまりの暑さで作業そのものを早めに切り上げるとの指示がでた。

午前中の津波注意報はアクシデントなので仕方ないが、午後も1時間半程の作業しか出来ず、さっぱり役に立たなかったなと思いながら大槌を後にした。

仕事で沿岸部は数回行ったので、瓦礫の山は何度も目にしたが、自分の手で触れるのは今回が初めてだった。
河川敷のあちこちに積まれた瓦礫を可燃・不燃に分別して収集するのだが、例えば食用油の容器、シャンプーの容器、焼肉のタレの容器などにはもれなく中味が入っている。子供のおもちゃも出てきた。腕時計も見つけた。時には重要書類や写真なども出てくるそうだ。
今回、自身の手でそれらを撤去することにより、津波によって人々の「生活そのもの」が流されたことを「質量」で再認識させられた。
これは映像や写真で見るのと違う。政治家の皆さんも現地視察の際に、ちょっとでも良いから瓦礫の山に自身の手で触れてみてほしい。

今回は川に入っての作業はなかったが、透明度の高い川だけに水中の瓦礫がよく見えるのだが、それが余計に痛々しい。
「復興」という言葉をついつい使ってしまうが、4ヶ月以上経った現在でもまだ「復旧」していないのが現状だ。
国や自治体、企業はもちろんのこと、個人レベルでも長期的に支援が必要だと痛感した。
スケジュールが合えばまた行って手伝いたいと思う。

今回は岩手県災害ボランティアセンター手配のバスで盛岡から現地まで無料送迎してくれるツアーに参加したのだが、道中の交通事故の不安が少なくなり、また現地の交通渋滞や受け入れの手数を少なくするためにも有効だと思う。岩手県社会福祉協議会のホームページを参照されたい。

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2011年7月 2日 (土)

岩手山に登る

7月1日(金)岩手山山開きに職場の同僚2人と参加した。
神事の後、八幡平市の焼走り登山口を7時に出発。
途中休憩をとりつつ平笠不動避難小屋には10時40分到着。ここで休憩と時間調整をして雫石町、滝沢村からの登山隊と同時に山頂へ着くように出発するようだ。
11時過ぎに出発。

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最後の急坂を登りると、雫石、滝沢からの登山隊が岩手県内全市町村の旗と大漁旗を掲げて登ってきた。ものすごい人数で驚いた。

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12時前に山頂到着。
山頂ではピッケル交換に加えて、今回は震災復興祈願登山ということもあり、沿岸被災地へ向けてのエールなどセレモニーが行われた。
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山頂はガスがかかり肌寒かったが、風でガスが飛ばされると時折視界が広がる。
岩手のてっぺん2038mから三陸沿岸の復興を願う。

山頂で昼食後下山開始。
登りもきつかったが、下りも火山礫はスリップしやすく、きつい段差もあるのでゆっくりペースで下山。
高山植物が見頃で小さいながらも可憐な花を咲かせていた。
こちらはハクサンチドリ。紫がノーマルのもので、右側の白は非常に珍しいそうだ。

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続いてはコマクサ。
焼走りコースにはコマクサの大群落があると聞いていたが、これは一見の価値あり。
自然観察ガイドの方によるとコマクサは何も無いところでしか繁殖できず、最近上の方でも木が増えてきたためにコマクサにとっての環境は厳しくなってきているとのこと。

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かなりゆっくりと下山したため17時に登山口無事到着。

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2011年4月30日 (土)

はやぶさが戻ってきた

4月29日(金) 震災以来50日で東北新幹線が全線で運行再開。
この日は休日出勤だったので会社に行く前に盛岡駅西口のマリオス展望台へ行き、はやぶさの下り1番列車を撮影した。
東北自動車道によるトラック輸送や緊急車両の通行確保、そして空路は羽田~花巻便の臨時復活などあったものの、一般のビジネスや観光客の大量輸送は新幹線にかなわない。
東北復興の大きな一歩になるに違いない。

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2011年4月10日 (日)

2代目ハムスターが

4月7日朝、いつもならご飯をおねだりしてくるはずのハムスターのハムスケ君が妙に静かだ。
呼んでも動かず、触ってみると冷たくなっていた。
2代目のハムスケ君が、我が家に来てから2年3ヶ月。
先代に続いて愛嬌よろしく、私たちを楽しませてくれた。

ちょうど、前の日に長男が中学校に入学したばかり。
可愛がっていた長男の成長を見届けるように旅立ったのかも知れない。

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2011年3月22日 (火)

2011年3月11日からの1週間まとめ

この度の東日本大震災で被災された皆様にお見舞い申し上げます。また、亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。

2011年3月11日(金)14:46 その時私は、仕事先から帰社し会社の駐車場にクルマを入れようとしていた。突然、クルマが大きく揺れだしたが、慌てて外に出ると何が落ちてくるか分からないので車内にとどまった。今までに経験したことの無いような揺れが長く続いた。揺れが収まり会社に戻るとデスクの書類は散乱していたが、幸いウチの会社のビルには自家発電設備がついているので電気は点いており、電話もつながりづらいもののなんとか生きていた。頻繁にくる余震に恐怖を感じつつデスクを片付けたり、関係各所に電話連絡や情報収集をして、気がつくともう19時を廻っていた。
おにぎりやパンを食べ一息ついて、家族に電話した。何度かメールを送っていたのだが、返信が全くなく心配していた。何度かリダイヤルの後、奇跡的につながった。多少棚のものが落ちた程度で皆、無事とのこと。

その後、釜石に向かう様会社から指示があり、一旦自宅に戻り着替えや食料を積み込む。着替えていたら長男が起きてきた、続いて長女も目を覚ました。「怖かっただろう。これから父ちゃんは仕事で釜石に行くけど、ごめんね。」と子供たちを抱きしめた。

街灯や信号を含めて停電中で本当に真っ暗闇。徒歩で帰宅している人も多く、交差点の度に安全確認をして慎重に走らせる。

花巻から283号を東進すると東和町で検問をしていた。通行許可のない車両はこの先行けないというので、用務を説明し、現場で通行許可をもらい進む。
新仙人道路が通行止めなので、旧道を使い一旦、市内に入ったが中心部はまだ水が引いていないというので、電話が通じる遠野に一度戻り会社に連絡し、翌朝再度釜石に戻った。

クルマで行けるところまで行き、徒歩で市役所を目指したが、道路は真っ黒い泥にまみれ、甲子川には多数のクルマが流されている。
大渡町から大町へ向かうとさらに状況はひどく、道路には家の屋根や壁やあらゆる家財道具の瓦礫、そしてクルマが2段、3段に重なっている、商店もことごとく浸水し、ガラスは破れ様々なものが漂着している状況で、言葉を失った。あまりの惨状に涙が止まらない。

市役所に向かう途中で、釜石市内のお客さんに2回も出会った。どちらも無事で良かったと握手を交わし、また涙。

釜石の出先にいる社員も無事だったが、一人宮古から通っている女性がおり、なんとかして戻って家族の安否を確認したいという。もっともだ。
盛岡経由だと距離も遠いし、検問所で通してもらえない可能性も高いので、復路は遠野から340号線立丸峠を越えて、川井の106号線まで先導することにした。
遠野で一旦休憩しているときに彼女の携帯が鳴った。ご主人から皆無事との知らせ。気丈にふるまっていながらも曇っていた表情が、一気に明るくなった。「お腹をすかせているみたいなので食品を調達して行きたい!」
ギリギリセーフでスーパーを見つけ立寄り、立丸峠へ。
峠に差し掛かった時には既に日は沈み、アイスバーンだったが、川井側に降りると道路は乾燥状態。ここで彼女とは別れて私たちは盛岡へ。
結局、自宅には23時到着。疲れ果てていたので服を脱いでそのまま布団に入ると間もなく、部屋の電気が点いた。花巻市内中心部ではガスも水道も無事だったようで固定電話以外のライフラインが復旧。

13日(日)起床後、入浴。本当にありがたいと思った。
家内と子供たちに申し訳ないと思いつつ出社。
釜石、大船渡、陸前高田へ向かう。
大船渡も高田も甚大な被害でクルマを走らせながら何度も涙がこみ上げてくる。

14日(月)
前夜は徹夜となり会社で仮眠を取る。
この日も泊まりかと思っていたが、20時過ぎに帰れるようなら帰宅するよう指示があった。
但し、このあたりからガソリンの入手困難がエスカレートし始めたので、会社のクルマでは帰宅できなくなり、いわゆる帰宅困難者となった。
結局、紫波から通っている先輩のクルマに乗せてもらい、家内に紫波まで迎えにきてもらい22時無事帰宅。

15日(火)
この日は午前中休ませてもらった。相変わらずJR復旧していないのでクルマで出勤することにした。
しかし、ガソリン不足も解消の気配は無い。燃料を温存させるため車中泊することにした。
盛岡市内で平面の駐車場を木曜日まで1日500円で3日分前払いして借りた。

皮肉なことにJRは15日夕方から盛岡~花巻間で復旧したのだが、運行が安定する保証はないので、この日は泊まることにした。
21時半頃、別宅に(?)到着。燃料とサブバッテリー温存のためFFヒーターは最小限とし、シュラフの上にもう一枚厚手のシュラフをかけて就寝。
疲労がたまっていたせいか、10時過ぎの記憶はない。

16日(水)
普段会社に行くときよりも遅目の7時過ぎに起床。睡眠も十分にとったのでだいぶ体が楽になった。
お湯を沸かしてカップ麺と果物、コーヒーで朝食をとり8時20分に別宅を出発。

この日はクルマを停めたまま、JRで帰宅。
帰宅後、長男が「僕のランドセルを被災した子供にプレゼントしてもいい?」と尋ねてきた。
よく聞くと、花巻の青年会議所で、卒業を迎えた小学6年生にランドセル提供の呼びかけをしているとのこと。
こういう取り組みは大賛成である。と同時に、6年間使ったランドセルを誰かに役立てたいと思ってくれた長男の成長ぶりがとてもうれしかった。

17日(木)
朝はJRで出勤、夕方はクルマで帰宅。

18日(金)
長男の小学校卒業式のため、皆には申し訳ないが休み。
校庭には半旗が掲げられ、式の冒頭には全員で黙祷をささげた。

この日の夕食は本来であればお祝いで豪華なものを・・・といきたいところだったが、家内の愛情がこもったしょうが焼きはじめ手料理が並んだ。テレビも暖房も最小限とし、ラジオを聴きながらトランプなどして過ごす。
沿岸部の被災地の方々の苦労に比べるべくもないが、少しでも痛みを分かち合えたらと思う。


震災発生からの1週間はざっとこんな感じだ。

私も含めて被害の少なかった地域に住む者にできることは何だろうか?
電気や燃料の使用を最小限にする、募金の協力をする、買占めをしない・・・ささいなことだが、それでもできることをやっていきたい。

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2011年1月 8日 (土)

謹賀新年

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

2011年が素晴らしい年になりますように。

昨年末からの大雪もようやく一段落し、この三連休はスキー三昧かと思ったら、今朝からストーブの調子が悪い。
10年選手のストーブがついに寿命ということで、先日もらったばかりのエコポイントでヒーターを購入しに盛岡のイオンまで買い物へ。
現金と同様に使えるようにと思って、エコポイントをワオンに交換していて良かった。

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2010年9月24日 (金)

もうすぐシーズン終了

9月24日(金) 夕方のオフィスで、「すごい夕焼けだ」と誰かが言った。手を休めて西側の窓を見たら・・・・・・。

                                              
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気がつけば9月も下旬。
花巻まつりも無事終わり、一方で岩手の渓流シーズンももうすぐ幕を閉じる。
8月は超多忙と猛暑で一度もロッドを振ることなく、9月に入りようやく21日に川へ出動したものの、20㎝程度のヤマメのみ。

しばし鮮やかな夕景を眺めた後、たまっていたデスクワークを片付け、とりあえず休日出勤は回避した。
残るは子供たちと家内からの「栗ひろいに行きたい」というリクエストをかなえつつ、川へ出かける時間をどう作るかだ。

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